もしもしと言っている場合じゃない

読書と編集 千葉直樹です

いつまで電話メタファなのか

今のスマホのダメなデザインのひとつは電話機能があることだ。

というと、は?って言う人がいるかもしれない。

電話を再発明してしまったのが良くなかったのだ。

とはいえ、当時は仕方がなかった。

電話は、かけて、話して、切る。だ。

当たり前だと思うだろうけど、別にこんなことをどうしてもしなきゃならないわけではない。

いちいち電話をかけることが前提のUIになっているのはおかしい。

画面が命のスマホを耳に当てるってどういうことだ?

電話しながら画面の操作するのがまどろっこしいと思ったことがある人は多いだろう。

おかしいのだ。UIが。

スコッティ

ティッシュじゃない。スター・トレックの話だ。

カーク船長が機関士を呼ぶとき、「スコッティ」と呼んで話をするのだ。

あまりに自然なのでドラマを見ているときはスルーしていたけど、どうやったらあんな事ができるんだろう?とずっと考えている。

スコットがだいたい機関室にいることはわかっているけど、コンソールの前にいるとは限らないし、たまには食堂にだって行っていることがあるだろう。

相手がいる近くのデバイスから呼び出すというのはなかなか難しい技術だと思う。

でも技術はなんとかなりそうだ。問題は、その場にいない人といかに自然に話すことができるか。ということである。

テレワークで離れて仕事をしている時に、同僚と自然に話すことができるサービスは今のところないような気がする。

チャットでいいじゃない?という人もいるだろう。

いやいや、いちいち相手を選んでメッセージを送るのがめんどうだと言っているのだ。

そして、話は相手だけでなく周りの人にもなんとなく伝わっているというのが理想なのだ。

テレワークでわかったこと

テレビ会議のシステムはあくまで会議をするためのツールだ。

あれを繋ぎっぱなしにしたところで仕事がやりやすくはならない。

会議というメタファがあって初めて成立する。

音声チャットにしても、まだ電話のメタファから完全に離れているとは言えない。

もちろん、働き方という観点では全く違うアプローチはあろう。

でもコミュニケーションツールという面で見直してみると、まだまだやれることがある。

それはもっと想像力を働かせないと生まれないものではないだろうか?

テレワークの時代はもう終わったのだ。

テレワーク後

集まれないからテレワークという考え方は一ヶ月で過去のものになった。

テレワークはできて当たり前なのだ。できないと言っているのは甘えだ。企業も個人も。ほとんど原始人だ。

そんなのは当たり前であるという前提で、集まって仕事してもいいよね。って選択もありうる。

もちろん、そこに行こうが行くまいが自由だ。

そこまで行かないと代替的テレワークで終わってしまう。

代替的テレワークのうちは、要するに「もしもし」とやっているということなのだ。

電話のメタファを捨てよう。会議のメタファを捨てよう。

新しいコミュニケーションのアイデアはそうしないと生まれないし、新しい働き方も生まれてこない。

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