読了:三体(劉慈欣)
読書と編集 千葉直樹です
書評はしない
読書と編集というサイト名、屋号を名乗っていながら、今は書評を封印している。
理由はこれまでさまざまなところで述べてきたのだけれど、情報発信の陥穽を避けるためである。
発信のために情報を集めることはよくあることだが、それは結果としてそうなるのであって、目的を取り違えてしまうと虚しいことになりかねない。
僕は読書は役に立つし、あらゆる人に勧めたいし、本について語るのも好きなのだけれど、こと文学的な作品については落とし穴にハマるのを避けたいと思っている。自分の中に生まれたイメージや感情をいつまでも咀嚼していたいのである。
えらそうに言っているが、要するに表現するのが下手くそでめんどくさいということだと思っていただいてほぼ齟齬はない。そんなものである。
エンジニア昔話
著者の劉慈欣氏はもともとエンジニアだそうである。僕と年齢も近い。
コンピュータに対する思い入れやイメージにとても近いものを感じる。
僕はITエンジニアになりたい人向け講座をやっているのだが、その中身は基本的に昔話である。
理由があってそうしている。
仮想化が進んだITの世界では、ソフトウエアが主体である。そのおかげでさまざまなことが便利に、簡単になっているのだが、ともすればそれを実現しているインフラストラクチャーに目が届かなくなりがちである。
これが実は社会に影を落としている。
情報だけが独り歩きすると、判断を誤ることがある。
最近で言えば「トイレットペーパーがなくなる」というとても馬鹿らしい現象を上げることができる。
少なくともエンジニアを名乗るのであれば、こういう現象にも深い洞察を持てなければならないと思うのである。
見えている世界は物理現象の積み重ねで起きている。情報はそれらの上に薄く載っかっているに過ぎない。
エンジニアであれば、事象の奥になにがあるのか知る必要があるし、それを探求する好奇心が必要だと考えているのだ。
だから、古い技術を通して、現状の姿を考えられるような話をすることにしている。古い技術からもらえるインスピレーションが新しい技術を作り出すと考えている。
「三体」の中にはそういうインスピレーションが溢れている。
それを時々反芻していると、これから出会う人に面白い話ができるようになるのではないかと密かに期待している。
こういうのを、ストレングスファインダーでは「原点思考」というらしい。
僕はまさにそのタイプ。「三体」はそういう僕にぴったりな本だったような気がする。