慣れる過程を観察

読書と編集 千葉直樹です

慣れてきたでしょう?

今の感染状況、毎日気にしていない人はあまりいないと思います。

僕も、だいたい毎日数値の情報はざっと見て、ニュースを拾い読みしています。

最近はバラエティみたいなテレビの情報番組でも、トップは別のニュースになることが増えているみたいですね。ぼくはたまたま流れているのをちょっと見てすぐテレビを消してしまうので詳細はわかりませんが。

今回の状況は、日本で徐々に情報が広まり始めたのが年明け早々で、わーっと騒ぎになり始めたのが3月。情報が早い人が気にしだしてから数えても、たかだか半年です。

それでも結構世の中が変わってしまいました。

実態がわからない状態で、ちゃくちゃくと死亡者が出る。これはとても恐ろしいことです。

まあ、だからパニックも起きて、一種のヒステリー状態まで発展してしまいました。

ただ、そろそろ原因となるウィルスに関する症例のサンプルの分析から挙動が見え始めているというか、ある程度統計的に把握できるようになってきたのかなあとも感じます。

自粛疲れなんて言葉もありますが、実態としては慣れてきたってことなのではないかと思います。

観察する

たかだか数ヶ月のうちに広がった恐怖は、案外あっけなく消えていくのかもしれません。

たぶん、今年もいつものように天候や地震の災害が起きるでしょう。すると人の目はそちらに移って行きます。そういえばコロナってあったよね。今年の流行語大賞の頃にはそんなことを言っているかもしれません。

ただ、これは単に忘れるというのではなくて、日常の習慣が少し変化するという形になるのでしょう。

もともと手洗いうがいは真面目にやっている人が結構な数いたと思いますが、その数はもう少し増えるでしょう。

あまり混み合ったところは避けようというのがある程度当たり前になって、いままでぎゅうぎゅう詰めにしていたさまざまなビジネスは距離をとるカタチに変化するでしょう。

そう考えると、戦略をどう変更したらよいかわかってくるはずで、ビジネスに長けた人はあっという間に対応してくるに違いありません。

そうやって、いつの間にか常識となった世界で、僕たちはコロナのことはとりあえず頭の隅に置く程度になるのでしょう。

これは、社会全体に知識がひとつ増えたという状況ですね。

考える

自分の心の変化がどうなっているのかよく見るチャンスでもあります。

ステイホームと言われなくても、ある程度そういう対策をとっていたひとは結構いたはずです。

僕もそのひとりです。

僕が何を基準に外に出て人に会うということを決めたのか。そのあたりを今じっと見つめています。

様々な要素があります。物事には優先順位もあり、それは人それぞれです。

僕の場合はだいたい自治体の発表を基準にしました。

行政などあてにならないという人も多いでしょうけど、こういう一種の災害の場合は行政の反応をよく見ておく必要があるのです。

そこから自分の具体的な動きに落として、もしもというときのことを考えます。

自分が感染したとしたら、影響する範囲はどれくらいなのか。これを想像するのは大切なことです。

日本の行政はとんでもなく縦割りだということを勘定に入れておく必要があります。

なんだかんだ言っても、なにか起きたときは自分の住んでいる自治体を頼りにする必要が出てきます。

今なら一番わかりやすいのは特別給付金ですかね?自分が住民登録している自治体に申請し、給付をうけることになるわけです。

病院もそうです。基本的には自治体の指示を受けるカタチになっていますし、自治体の規模によって受けられる医療も違ってきます。

もしも他の地域で感染に関与することになったら、そのために動かなければならない人の数は倍くらいになるかもしれません。

僕は市の端っこの方に住んでいて、中心部に行くより隣町に行くほうが近いくらいなのですが、その境界を越えるためには自分が住んでいる市の状況を把握しておいて、発信される情報から各現場のことを想像し、対応に余裕が出てきたと思われるところを見切る必要があると考えていました。

6月に入り、北海道として行っていた対策会議の情報が出なくなりました。これはハードルをひとつ越えたと判断して良さそうでした。

市から出る情報は、感染者数がある程度安定し、クラスタが追えるようになってきていることを示しているように思われます。

もちろん、これらが正しい情報かどうかはわからないわけですが、自分の体感的な情報からしても、身の回りで感染したという情報は今の所1件だけ。それも家人が仕事をしているビルの警備員が家族から感染したというものだけです。

外出自粛期間中も、買い物などには出ていました。僕の動く範囲ではソーシャルディスタンシングはほぼ守られていて、自分で距離をコントロールするのも容易でした。

各施設の入り口に置かれている消毒液は、必ず内容を確認した上で使用しています。一応使うのですが、十分な消毒効果がない可能性を考慮してその後の行動を変える必要があるからです。

もちろんマスクをし、帰宅したらすぐに手洗いうがいとマスクの洗浄を行います。

こういう行動を自分がある程度きちんとできるという自信がついて、やっと自主的な自粛を一部解除することができました。

今は感染による重症化リスクが大きくない人たちのところは行っても大丈夫だと考えるようになりました。

僕の基準

僕が今回の問題を考える時の基準は、自分が感染しているかもしれないということでした。

感染の可能性がある行動はできるだけとらないようにする。それでも自分が感染している可能性は排除しないという考え方です。

そして、感染した人に起きる症状はできるだけ調べておき、重症化のリスクがある人がいるところにはできるだけ近づかないということにしました。

感染を前提とした行動をとること、だからこそコントロールの可能性をきちんと把握しておくこと。

平たく言うと、やはり「知る」ということが大事で、それが「慣れる」ということなのだろうと考えています。

たぶん、ここしばらくの世の中の動きをよく観察すると、こういうことが次第に起きてくると思います。

「慣れる」の意味が、より他者を思いやるということになることいいなと思います。

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