勉強ってなんだろう?
読書と編集 千葉直樹です
不動の順位
僕は中学生の時、入学してから卒業するまでテストの順位が約230人中の8番でした。
と言うのはちょっと嘘で、これは実力テストのこと。定期テストは22位とかでした。
これはどういうことかというと、定期テストは出題範囲があって、実力テストはないことが主たる原因なのです。要するに僕はテスト勉強をしなかった。テスト日に気づかずに普通にその日の教科書を持って学校に行って、「あれ?テストか」ってこともたびたびありました。
そして、ずっと不動の8位ということはテスト勉強は不要ということを意味していたと思います。たぶん、このへんの順位、ずっと変わらなかったっぽい。
誰が何位というのはわかりませんでしたが、そのあたりはだいたいあいつだろうなあというのはわかりました。で、そういう連中を見ていると、基本的に勉強好きなんです。でも周りが考えているようなことが勉強ではなかったようです。僕もそうでした。
テスト勉強はしないけど勉強は好き。これは結構共通していたような気がします。
勉強すること
受験制度があるので、なんだかんだで学校では日常的にテストをやらないといけないのでしょう。受験で不合格はいやだから、受験する学校のランクを定めるためにもテストはいる。これはある程度仕方がないのかなあと思います。
でも、そういう相対的な順位を決める考え方で勉強している限り、面白いことに出会える可能性は小さくなってしまいます。
とはいえ、面白いことに出会えるのが何歳と決まっているわけでもありません。それまで何をしたらいいのかわからないからとりあえずテストを目標に頑張るというのはありだと思います。
それをどこかで卒業して、自分のための勉強に切り替えることができると勉強は面白くなります。
僕にとって勉強は学校とはほぼ無関係でした。
興味を持ったら調べるというのが好きだったので、家では百科事典を隅々まで読み、図書館に通ってさまざまな本を読み、書店をはしごしてあらゆる分野の本を立ち読みしていました。
中学生の頃は学校には部活(吹奏楽部でした)をしに行っていた感じで、思い出は部活ばかりです。
早く就職したかった僕は高専に進みました。当時は情報系の学科などなく、電気工学科に入りました。
学校でやっていたことは中学生の頃出会ったコンピュータの知識を得ることで、単位を落とさないギリギリまで授業をサボり、コンピュータの知識を得るために書店に通っていました。当時はコンピュータの新しい情報は学校の図書館にもなく、もちろん古書の集まりみたいな市立図書館にもあるわけがなく、新刊の本をあたるのが早かったのです。
そのかわりコンピュータを使う授業は欠かさず出ていました。課外でもコンピュータ室の汎用機を使えるときはできるだけ使いに行きました。
もちろん専門の成績は悪く、卒業まで毎年仮進級という有様で、留年こそしなかったけれど、5年めは落としていた単位の教科の教官のところで卒業研究(これもコンピュータだった)をして、なんとか卒業させてもらったという感じでした。少し前まで卒業できないという悪夢をみることが度々あったくらいです。
とはいえ、コンピュータ系の科目のテストは満点しかとったことがありません。
そして、当時は珍しかったソフトウエアの専門会社に就職したのでした。
僕にとって勉強は面白いと思うことをあらゆる方法でとにかく知ることでした。
勉強したい欲
ソフトウエア会社に入ったので、コンピュータ使い放題かと思ったら、そんなことはありませんでした。
35年ほど前は机にパソコンなどありませんでしたし、ひな壇の偉い人はキーボードを打つことすらできませんでした。
そういう環境にある程度慣れてしまうと、飽きてしまいました。ひたすら自分の好きな勉強をしていました。
まだバブルの頃でしたから、教育出張は行き放題でした。毎月2回位は東京に行きました。データベースの設計手法とか、システムの分析や設計の技法などを学びましたが、残念ながらそれを活かす仕事はありませんでした。仕方がないので適当に仕事をしながら好きな勉強をしていました。それで給料がちゃんともらえていたのだから幸せな話です。
会社には業績評価があります。想像できるでしょうけど、それは低迷を続けました。
極稀に肌にあうプロジェクトがあって、そこでは結構役に立つことができたと思います。学んでいたさまざまな手法を現場にあわせて展開、実践していくのです。それは僕に上手に仕事をさせる上司のおかげでした。
ただ、長いこと同じ会社にいて、学ばない組織に嫌気が差してきました。周りが新しい技術に関心がないことに苛立ちました。まあ、世の中の大半の人は新しい技術になど興味がないのですからそれはビジネスにならないわけです。
そのうちどんどん景気は悪くなり、やりたくない仕事を強制されるようになり、長時間残業や長期の出張で給料がもらえるということすらメリットを感じなくなった頃、心を病んでしまいました。
勉強しなおし
そういう辛い状況を救ってくれたのは勉強でした。
心を病んだことをきっかけに、心理学の勉強をしてみようと思い立ち、放送大学に入学しました。3年かけて学部を卒業しました。学べるものがたくさんあることにワクワクしました。
もはや、学校や会社という枠に縛られる必要はないと感じるようになりました。そもそも組織のルールに従って勉強する必要などないという自分ルールを持っていたことにやっと気づきました。
今は勉強したいことの範囲がとても広がって、ほとんどあらゆることに興味をもって学び続けています。
ひどく経済が疲弊してしまった現代の若い人たちから見ると、ラッキーに見えるかもしれませんが、昔の価値観の世界で家族を養うのも結構大変だったし、未だに過去の負債はいろいろな面で残っていて、今でもとても悠々自適というわけにはいきません。
それでも、そこそこの年齢になっても新しい知識を身に着け、できることを探せるというのはありがたいし、楽しいことです。
豊かに生きるための道のひとつは勉強することだというのが、僕が五十年の人生で見つけた帰着点です。
若い人たちには比較の世界から早く卒業して、自分が面白いということに没頭できるようになることを目標にしてほしいなと思います。