原稿用紙を埋めること
空きマスがあってもいい
手抜きを怖れてはいけない
読書と編集 千葉直樹です
書かないことを学ぶ
空白の使い方から
作文が好きだった話は前にも書いたことがあるような気がしますが、今日も思い出したことがあるのでそのことについて書いてみます。
小学校の一年生の時に初めて作文を書いたときのこと。「ち」と「さ」がどっちがどっちかわからなかったり、「す」の○がどっちにつくかわからなかったりしながらも、作文を書くのが楽しかったということを前に書きました。
今日は、最初の頃原稿用紙には文字を全部埋めるものだと思っていたのを思い出しました。
句点読点はひとますを使うとか、段落の最初は字下げするとか、そんなことを習ったのですが、最初は段落というのがよくわかっていなかったのです。
なんとなく、あまり空白があるのは良くないのだろうなと思っていましたので、原稿用紙のマスはぎっちり埋めていたのでした。
あるとき、段落というのがなんとなくわかって、段落が終わる行の空白は悪くないのだということに気づきました。
「おお、これ楽じゃん」
と思いました。
原稿用紙に空白があってもよいのですから、原稿用紙一枚を埋めるのは訳ないことになっていきました。
さらに、空白行を作るとか、ぶら下げでインデントして各行のひとマス目を全部空白にするとか、そういう視覚的な効果を狙った意図的な空白を置くようになると、何枚もの原稿用紙を使うことができるようになりました。
「書かないところにも意味がある」ことを考え始めると、物理的な空白だけではなく、意図的にぼかして書くとかそういうこともできるようになってきました。
テクニックを使う遊びだったわけです。
好きな言い回しを使ってみた
文体を真似る
赤毛のアンの中で、アンがしきりに「言ってみたいこと」にこだわる場面が出てきます。
「物語クラブ」を作ってみんなでそれぞれ物語を書く話でも使いたい言い回しがあるということが出てきたような気がします。
僕も作文のときにはよくやっていました。
本をよく読んでいたからだと思うのですが、文章を書く時に「この言い回しを使いたい」という動機があって、それを書きたいがためにエピソードを考えるということをよくやっていました。まあ、ある意味穴埋め問題。テンプレートを使うというやつですね。
これをやると作文がぐんと楽しくなります。そして、なにより原稿用紙を埋めるのが楽になります。
形がほぼ決まっているので、書きたいエピソードを見つけ出すと、ある程度自動的に文章ができあがるわけです。
そして、その言い回しの着地点に持っていくためにさまざまなテクニックを駆使します。後ろから文章を組み立てていく感じですね。
すると自動的に原稿用紙が埋まっていきます。ひとつのエピソードからあっという間に3枚くらいは書いてしまいます。
そうやってガシガシと原稿用紙を使っていく楽しみというのが作文の楽しみだったし、今でも誰かの文体を真似したりするのは大好きです。
手抜き上等
全部自分の言葉で書く必要はない
誤解される言い方かもしれませんが、文章を書く時にすべて自分の言葉で埋める必要はありませんし、それは不可能なことです。
さまざまなテクニックを使うとある程度自動的に文章は出来上がっていきます。これはコンピュータにもできるようになってきているくらいです。
そして、このテクニックを学ぶ唯一の方法が本を読むことだと思います。
夏休みの宿題で苦手なものとして挙げられるのが、読書感想文ですね。これ、よくわかります。実はこれ、問題は書くことではなくて読むことなのですね。興味のない本を無理やり読まされるのはつまらないから、感想など書けないのです。
もうこの際、全部読むのは諦めましょう。
適当に本を開いて、そのページだけ読んでみましょう。三箇所くらいそれをやって、その中で一番興味を持った文章だけを取り出しましょう。読んだ中だけで一番おもしろいところを取り出すのです。
その文章についてだけ考えて感想文を書きましょう。
拾ったページから興味が出て数ページ読んだら儲けものです。
まあ、先生の思っている感想とは違うでしょう。だから評価は低いかも知れません。でも自分の文章を作り出すということに意味があるのです。
思ったことを書く。それは自由だということを知ることができたら、作文ー文章を書くということが楽しくなるのではないかと思います。
読書も作文も、どんどん手抜きをしましょう。
手抜きの工夫から生まれるものは必ずあって、それが自分らしさを作る鍵なのです。