アンのリアルとディティールを考える想像力~「アンという名の少女」

このところ、Netflixでこのドラマを観ています。
原作の「赤毛のアン」シリーズが大好きという方はたくさんいるのではないかと思います。村岡花子さんの名訳で読んだり、アニメの「赤毛のアン」がとにかく好きという方も多いでしょう。
僕もとにかく大好きで、村岡花子さんの「赤毛のアン」を何度読んだかわからないくらいです。
さて、「アンという名の少女」はどうでしょう?
原作の「赤毛のアン」が大好きな方にとっては、ちょっと受け入れ難いところがあるかもしれません。
「赤毛のアン」はいろいろ波乱はあっても基本的にはとても優しい世界です。人はこんなふうにあってほしいという理想が描かれていて、物語として美しく完結しています。
ある意味で、子供の頃の思い出という感じ。印象的な美しい記憶を綴ったもの。
「アンという名の少女」は、「赤毛のアン」の中に出てくるエピソードを使いながら、現代社会のさまざまな問題を描いた全く別の作品ということもできます。
実際、取り上げられるテーマとか、表現のトーンはざっくりいうとアメリカンな感じ。今のアメリカはこういう問題を抱える日常なのだということを訴えているようなストーリーです。
これは「エノラ・ホームズの事件簿」でも同様です。この作品についてはこんな記事を書きました。
しかし、僕は「アンという名の少女」についてはちょっと違う受け取り方をしました。
日常というのは悲喜こもごものことが混ざっていて、美しい時間もあれば、時には辛い現実にも向き合わなければならないことがあります。アンの日常のいろいろな面を切り取っていったら、ひとつは「赤毛のアン」のような世界観が出来上がるでしょう。
でも、その毎日の、よりリアルで現実的な厳しい面を拾っていったら、「アンという名の少女」が出来上がるような気がします。
そう考えるととても良くできている。
これは僕の想像ですが、「アンという名の少女」を作った人は、どこかでアンという人間が実在の人物だったと思いたいのではないかと思います。そして、僕も同じように感じています。
アンはもう作品から自立して存在していて、そこから縦横無尽に物語を紡いでいくことができるイコンになっているのですね。
だから、僕は「アンという名の少女」に出てくるアンもマリラもマシューも、その他の印象的なキャラクターの全てに「赤毛のアン」と同じような愛情を感じます。
辛いストーリーは好きではないという方にはおすすめしません。
でも、胸の中にいるアンを、より身近に、リアルに、生き生きとした存在として感じたいという方にはおすすめできます。
僕は「アンという名の少女」で、アンがもっと好きになりましたよ。
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